AJA 一般社団法人 日本動画協会

国際交流

実施レポート : 富野由悠季監督


ヒューストン・リオ・サンパウロ(国際交流基金の招聘で)

 

サンライズ 富野 由悠季

 

平成16年(2004年)2月26日の昼にヒューストンに入ったとき、空港に外務省の職員の出迎えを受けた。

二十年前に交流基金の招待でロスに行ったときは、現地の領事館に基金の担当者と挨拶に行った覚えがあるので、時代は変わったものだと実感した。

 

翌27日は、NASAのヒューストン基地見学をして、次期シャトルに搭乗する宇宙飛行士の野口聡一氏と昼食を共にすることもできたのも外務省の尽力のおかげである。
その午後、ライス大学で近代日本史専攻のゼミに呼ばれて、1時間半ほど教授と学生の質疑応答の形で、創作する姿勢についての話をした。

12名の学生は、アニメに興味を持っている文科系であっても、演劇的な劇作論であるドラマツルギーについての意識が希薄で、演劇的素養をもてなければ映像作品はつくれないという教育は、より必須であると実感した。
夜は、領事公邸で天野総領事ご夫妻主催のレセプションに招かれた。数カ国の領事館長やイベント関係者とその参加学生、総勢70人ほどで、その冒頭、個人と組織の新しい関係性を築いていかなければならない時代がきたという実感について喋らせていただいた。これについては、オーストリア、スウェーデン、トルコの総領事各位から有意義なコメントだったという評価をいただいた。
在米日本人にとっては、アニメをとおして日本に興味をもつアメリカ人が出現してくれているので暮らしていて助かるという意見は、このあとブラジルでも異口同音に語られていたことで、われわれの仕事が一般的に認知されてきたと痛感した。

 

富野由悠季監督

28日午後はヒューストン大学で、ファンクラブ主催の英語版の『ファースト・ガンダムTV版第一話』を上映したあと、400人ほどの聴衆の前で、『ガンダムが見た四半世紀』というテーマで講演した。

日本でアニメがディズニーと異なる発達を遂げた背景には、日本独自の文化があったのではないかという自説を説き、同時に、ドラマツルギーへの理解と映像力学である視覚印象を応用しなければならないという要点を語った。

アニメのマスプロ化が駄作の乱発になっているので、出資者の立場に立つようになる青年は安易な気持ちで映像業界に参画しないでほしいとも説いた。

 

富野由悠季監督その夜、ヒューストンを発ち、翌日、昼にリオデジャネイロ入り、ただちに現地通訳と講演内容の確認をした。日本文化協会主催の「ANIME CENTER VERAO」が開催されている会場の隣で講演をするリスクを考慮しなければならないからである。

事実、夕方六時、リオ州立大学のホールにはコスプレをしているファンの入場もあって、『ガンダムTV版』の上映ののち『なぜ日本でロボットアニメが生まれたか?』のテーマで講演をしたのだが、冒頭、神谷武総領事のご挨拶もあったりして緊張した。

観客は、延べ人数は500人ほどで、300人は固定していたと思われる。

 

ここでは、アニメ的画像にシンパシーをもった日本文化の特性があって、ことに日本語の文字の表示がアニメ的な媒体に対して独自の表現センスを発揮させたのではないか、という自説を説いた。

さらに、今後マスプロ化したシステムのなかで独自の創作をしていくためには、風土が育てた感性を発揮する意識を育てるべきである、とアピールした。

 

3月1日には総領事館の昼食会に招かれて、次回の講演関係者を紹介された。

その夜、同時通訳の施設が完備している職業訓練校SENACの講演用のホールには50人ほどの聴衆があり、英語版にポルトガル語のスーパーの入った『ガンダムTV版』の上映後、『なぜ日本でロボットアニメが生まれたか?』というテーマにしたがいながらも、モデレーターの質問に答える形をとった。

そして学んだことは、ブラジルにはアニメを制作してテレビにかける経済構造がないという事態であった。

アニメ番組が提供できるためには、経済活動そのものが活発でなければならないということで、あらためて日本という国はありがたいと認識できた。

この後、出席者の質疑応答に応える形で、二十世紀までが北半球の文化であるのなら、21世紀は南半球の文化的要素を混在させることによって、より豊かなものになるのではないか、そのような仕事をするのが諸君たち世代ではないかと締めくくった。

 

富野由悠季監督

翌日、昼にサンパウロに向い、夕方、国際交流基金事務所に入って、通訳と基本的にはリオ州立大学での構成と同じでいけると確認しあった。
サンパウロ市立文化センターでのイベントは日本文化協会単独主催で、その仕切りは、現地でマンガ本の販売や各種イベントを手がけている「あにまんが」代表 Mr. Tasuku Nagataの仕切りで、『SDガンダム・フォース』『ガンダムTV版』の上映後、300人ほどの聴衆の前で講演した。

『なぜ日本でロボットアニメが生まれたか?』のテーマであったのだが、用意した内容とは別に”アメリカで発達したアニメと日本のアニメの違い”の説明を補足した。

 

富野由悠季監督

翌3日の夕方、国際交流基金サンパウロ事務所内の日本文化センター多目的ホールで行われるイベントに参加した。

昨年ケーブルテレビでオンエアされた『ガンダム・ウィング』に出演された声優5名のトークショウと小生のパネル・ディスカッションという組み合わせである。

会場は100名ほどの観客で埋まり、8時『富野監督を囲む座談会』では、アニメ・スタジオの主催者、ディレクター、マッケンジー大学の教授らとのディスカッションだったのだが、ここでも、作品ごとに独立したスタッフ構成がされていると想定した数字の説明を聞きたがって、各種の制作レベルが混在する東京では、大小のプロダクションのスタッフが仕事の流れのなかで、順次参加し離散していく、という流動的な生産構造の説明は理解してもらえなかった。

九時半に終了したのだが、その間、一般的な観客と思える人々も退出することがなく、会場は盛況だった。

 

富野由悠季監督

4日の午前10時半に、サンパウロの八大学が協賛する「大学チャンネル」のインタビューを受けたのだが、ここでも、日本でのプロダクション形態についての質問が基本になった。つまり、短編作品の作り方しか知らないブラジルの事情からは、日本の週ペースで制作されるプロダクション形態については想像がつきにくいのである。

このようなことからも、文化的な表層の現れ方とそれが実行とされる社会的経済的背景の違いというものは、なかなか埋められるものでないということである。

今後も文化的な理解をおこなっていく場合、これら問題点についての認識をもった者同士が、実務をつうじながら交流していく必要がある、と理解できた。
この日の深夜、サンパウロ発、ニューヨーク経由で、3月6日昼、成田に帰国した。

実行所感といえば、よく倒れずに帰国できたものだということで、事前の現地観光をする余裕が現地の空気を知ることになって、講演にも良い結果をもたせるのではないかと想像する昨今である。

 

しかし、今回の招聘ルートが北南米大陸を縦断したため、たくまずして風土の違いが比較でき、ありがたく思っている。

アメリカ、ブラジルともに、聴衆者の年齢的な巾の広さ、ファンとして享受する人々とプロ意識をもった人々との混在は、講演側としては困惑する部分ではあったのだが、アニメをとおして日本への理解が広いものになっているのを知ることは嬉しい限りである。

日本の手工業的な仕事という発送に捕らわれつづけていた者としては、より一般的な創作行動者として努力をしなければならない、という一点と、エンターテイメントを提供しつつも、有効な情報提供をする社会人としての任務というものを改めて知らされ、さらには、実行への可能性を文化の違いの上からいかにしていくかという視点が得られたことは、有意義だった。

この現実的理解は、日本人社会では領事館スタッフ各位の対応の仕方からも了解できることであって、アニメ屋でも社会人としての認識を堅持しなければならないと思い知らされ、今後、アニメ関係者もより研鑽し、広いニーズに対応していく姿勢を涵養しなければならないと実感した次第である。

あらためて、今回の招聘を実現してくださった関係各位に謝意を表するものであるのだが、同時に、税金を使わせていただいたことで、他納税者に対しても心より感謝いたす次第であります。

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