メキシコ、コスタリカ、アメリカ・アトランタ(国際交流基金の招聘で)
サンライズ 高橋 良輔
この三月に私は[独立行政法人国際交流基金]なるいかめしい名の団体からの要請でメキシコ、コスタリカ、アメリカ・アトランタ訪問のために勇躍太平洋を渡ったのであります。
太平洋を渡った、などといささか大げさな表現になってしまいますのは実は私今までハワイより東に言ったことがないのでありまして、なおも大げさに言えば中米などと言うのは地球の反対側の国々でありまして、正直言って、ま、地の果てを訪れるような気分なのでありました。
しかしその気負った私の気分とは裏腹に[独立行政法人国際交流基金]からの指令は「かの地に参って、何でもいいからアニメの話をしておいで」という、まあなんとものどかでゆるーいものでありまして、つまりはその、まあ、結論としてはドンと胸を叩いて自信を持ってお引き受けしたのであります。
さて、かの地で私めが用意しました講演の演題は『ジャパニメーション1963~2004』というものであります。これはどういうものかと申しますと、1963が表しますのはつまりかの『鉄腕アトム』が放映を開始した西暦年であります。
私はここにジャパニメーションの起源を置いてこの40年余りの日本のアニメーションの発達史を要約してみたのでありますが、三カ国共にジャパニメーション熱は想像以上に高くお陰で私も昂揚した気分で充実した日を送ることが出来ました。
日程を消化するにあったっては交流基金の滞在員の方また各国の大使館員領事館員の方々の一方ならぬお世話になったのですが、方々の申すことに今までも文化交流の名の元に伝統芸能などをはじめとする催しをさまざま企画されたのでありますが、今回ほど人集めに苦労しなかったことは記憶に薄いとおっしゃるのであります。
確かに、日本を出て三日目最初の講演地メキシコシティーの国立工科大学の[マヌエル・モレノ・トレス講堂]で第一回目の講演を行ったのですが、講堂は満席、聴衆全てつたない私の話しに熱心に耳を傾けてくれました。
講演後の質疑応答も熱意のこもったやりとりが出来、終了後のサイン会には思わずため息が出るような長い列が出来たのであります。
メキシコの後はコスタリカの首都サンホセに渡り文化・青年・スポーツ省に付属する[fanal劇場]で講演、メキシコ同様の熱狂と歓迎を受けたのですが、特筆すべきは現地若者の日本語での質問でありましょう。
正直なところ地球の裏側でそれもスペイン語圏で現地人から直接日本語を聞けるとは思っておりませんでした。
何で!? と訳を聞けばこういうことでありました。
みんな日本のアニメとマンガがタコスマカロニより好きで、日夜接しているうちに自然と覚えてしまったというのであります。習うより馴れろ、げに恐ろしきは好きな道と言うことでありましょうか。
この後はカリブ海をまたぎアメリカ・アトランタに飛びエモリー大学の[ハーランドシネマ講堂]にて同じく講演質疑応答サイン会、ここでも大盛況面目を果たしました。
アトランタがメキシコ、コスタリカとちょっと違ったことといえば会場に30代40代の姿が結構多く見受けられたということでしょうか、ちょっと気になったことなのですがその訳は主催者にも分からずじまいでありました。
しかしその年代の日本のアニメに対する愛情と真摯な敬意には私め大いに驚くと同時にいたく感動してしまいました。
さて、三国共通で最も多くの質問を受けた事柄は「日本のアニメーションがジャパニメーションと言われるほどの隆盛と特異性を発揮した原因はどこにあるのでしょうか」というものでありました。異論はあるかと思いますが、私めは概ね次のように答えたのであります。
1. 日本には『手塚治虫』というマンガ家が存在したということ
2. 手塚が開いたストーリィーマンガが多くの才能を呼び込み、日本には世界に類を見ないマンガ文化が花開いたということ
3. その手塚がテレビアニメを創始したこと
4. テーマ、モチーフ共に豊かなマンガ文化がテレビアニメを育てるためのベースになったこと
5. 豊かなテレビアニメの中に『宇宙戦艦ヤマト』『未来少年コナン』『機動戦士ガンダム』などのテレビオリジナルアニメが誕生したこと、そしてそれらの作品が視聴者としての若者を取り込んだこと
6. 若者たちのニーズを受けて『アキラ』『攻殻機動隊』などが誕生しオピニオンリーダーとして機能したこと
7. むろん高畠勲、宮崎駿などの巨大な才能が存在したこと
などなど……であります。
私などの話が訪問先の人々に理解されたのかどうか心もとないものがあるのですが、アニメと言う共通のものを通しての交流は実に和気藹々のんびりゆるーく楽しいものでありました。